Narrative

わが内に獣の眠り落ちしあとも 太陽はあり頭蓋を抜けて

オッペンハイマー

観る前は、なんで日本焼いた奴の映画を金払って見なくちゃいけないんだ、と思っていた。しかし、途中からお金払って観にきてよかった、と思うようになった。お金を払わないとみられないような内容だった。この作品が日本の地上波で放送される日はあるのだろうか。

 

全体的にお話は難しくて、特に回想と現実の交錯、見分けのつかない登場人物の名前と顔などに終始振り回されていたが、原爆の実験シーンだけは明瞭に覚えている。

実験が成功したとき、"It worked."と誰かが言った。字幕には"成功だ"とあった。

work、の正しい意味は働く、ではなく滞りなく機能することだ、と高校の英語の授業で言われたことが、ふっと頭に浮かんできたのだ。聞き取れた英語と、日本語と、私のなかの記憶が組み合わさったとき、私は急に怖くなった。異文化を学ぶことに対しおばけのような恐怖心を抱いた。

 

Fear always springs from ignorance. とはよくいったものだ。異文化と対峙したときの私の恐怖心を端的に表してくれる。あの映像の後、スクリーンで笑っているアメリカ人たちは本当に他人だった。

ただ、このアメリカ人の言葉を原文のまま理解できるのは6年間の英語教育のたまものであることも事実だ。

 

私の知っている原爆についての話は、いかに広島と長崎の被害が甚大だったか、皮膚の焼ける様子、一瞬で燃え尽きた市街地の有様、後遺症に苦しむ人々の体験談。。。といった具合だ。アメリカでの開発の裏側なんて、誘われてこの映画を見なければ当然知る由もなかっただろう。興味がない、と一蹴しなくてよかった。

二度と核を落としてはいけないと思っているし、戦争は反対だけど、もしかしたら日本に生まれて、日本の立場から見た戦争を教科書と8月のテレビ番組で刷り込まれたからかもしれない、と少し疑ってしまった。これもまた、今までの日本での教育の遺産なのだろうか。原爆反対という考えはきっと変わらないと思うけれど、自分の信念を疑う機会を持ててよかった。

 

これからさらに大学で日本について勉強する今、観るべき映画だったかもしれない。教育とアイデンティティと異文化理解について考えるきっかけになった。日文コースに進むことは変わらないとしても、少し自分の思想について見直してみようと思った。

 

 

戦争に関連してもう一つ。昨日映画を見る前、今週の水曜日に東京都の戦没者霊園を訪れてみた。遺品とともに持ち主の名前や年齢、遺族のコメントなどが展示されているのだが、私と同年代で亡くなった兵士の多さに驚いた。今の私と同い年くらいで特攻作戦で亡くなった人の遺書には、ずいぶん立派な文章が書かれていた。いくら当時の国の方針と検閲があったとはいえど、あの文章を書くことは苦しくなかったのだろうか。お母さんのこと、恋しかっただろうに。

 

映画を観たりこういった展示を見たりした後は、心が重くなる。金曜の授業で、東京にいるうちに公演や展示に積極的に足を運んで、自分の文章で記録しなさいと言われた。今までやってきたことは間違いじゃなかったんだ、と思うと同時に、これからさらにペースを上げなければ、と思った。オッペンハイマーも、戦没者霊園も東京にいたからこそ享受できた出来事のよい例だ。4年間、文学と表現の道に自分を沈めてみようと思う。なるべく就職なんてせずに、本当にやりたいことができるように。