Narrative

わが内に獣の眠り落ちしあとも 太陽はあり頭蓋を抜けて

映画ハイキュー ゴミ捨て場の決戦

 

たった今、ハイキューの映画を観てきた。帰りの車内で執筆している。なぜ、わざわざ地元のつくばではなく、南船橋まで向かったのかというと、友達と4dxで観るためだ。

初めて体験する4dxは、素晴らしいとしか言いようがなかった。ボールの動きに合わせて座席が動くおかげで、私も代々木体育館にいるような感覚を味わうことができた。そんな熱気を感じているうちに、目の前でプレーをしているキャラクター達が羨ましくて仕方なくなっていった。何かに熱中して身体を動かすのって楽しいだろうな、高校3年間を捧げられるものがあるって充実しているだろうな。私も、中高と何かスポーツに打ち込めばよかった......。しかし、ストーリーが進んでいくにつれて、その考えは次第に変わっていった。こんなスポーツもろくにしたことがない人間に、ここまで思わせることのできる作品を提供できる製作陣への尊敬の気持ちが湧いてきたのだ。私も、全然違う人生を歩んできた誰かに、私の世界を見せてみたい。こうやって、都合よく自分の目指すべき姿に思考をチェンジできるのは私の良い部分だと思う。

ただ、コートの中で自在に動く彼らと同じような感覚を味わううちに、羨ましくてたまらなくなってしまったのは事実だ。スポーツを楽しめるだけでなく、ただ、彼らが高校生を謳歌しているだけのことに惹かれてしまった。かく言う私も、世間的にはまだ高校3年生の扱いなのだが、卒業式を終え、卒業プリのために再び制服に袖を通したあの瞬間、【コスプレ】という言葉が浮かんだときのような、ないものねだりの淋しさが湧いてきた。青春を青春たらしめるのはその不可逆性である、という話を聞いたことがある。あったはずの資格が剥奪されたこの時期に、観てよかった映画だと思う。立派な大人たちが若者に得意顔で今を楽しめとアドバイスするように、これから死ぬまで私は高校3年間を懐古し続けるのかもしれない。

映画を見終えた疲労感のせいか、周りの空間や時間がとてもずっしりと重く感じられる。こんな鮮やかなお話を見たら、ノスタルジックな気持ちになってしまうのは致し方ないことなのか。武蔵野線の車窓から覗く倉庫群と東京湾を見て、単発バイトに出ていた日々を思い出した。南流山のホームで吹く地下鉄の風が、物悲しかった。txの隣の席では、6歳くらいの女の子がお父さんに駅の読み方を教わっていた。ちょうど今、その2人は電車から降りていった。

 

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