書棚

寮の自室の書棚に本が増えていくたびに満ち足りた気持ちになれる。私の読書体験のほとんどは図書館がもたらしてくれたから、自分の財産として本があることに、まだ少し贅沢だと気後れしてしまう。

生活用品が並ぶ棚の中のたった3スペースだけど、私の狭い部屋の中で1番重たくてなくしたくないスペースだ。

今日はなんだか眠れなくて、本棚のことを考えているうちに、父のいた部屋を思い出した。

実家の私の部屋(現:妹の部屋)はもともと父が使っていた。四方を取り囲む壁のうち、2面が床から天井まで本がぎっちり詰まっていた。本棚を置いた、というよりは、本棚をはめた、という表現が適切だと思うくらいの威圧感と本の数だった。それでも収まりきらなくて、床にはいつも本が積まれていたし、さらに本棚は可動式で、前面をスライドすると奥からさらに本が出てきた。

私の3スペースとは比にならないくらいの本の量だった。

やはり父は研究者だったんだな、と思う。本を今まで以上に精力的に読むようになって、活字を追いかけることだけが知識量を増やしてくれるのだと思うようになった。映画とか演劇とか、他のジャンルの芸術では得られない、ただただ頭の密度を大きくしていくような感覚。感性とか、思考の幅とかは他の経験でも磨かれていくけれど、情報を段ボールに隙間なく詰めるように頭で吸収していくのは、活字を読むことでしかなしえないと思う。

 

(8/14 追記 この段落は不適切だと感じるので削除したいけれど、当時の考えを残しておくためにあえてこのままにしておく)

 

父はまだ許せないけれど、また会ってあげてもいいかな、と少し思った。でも、私たちの生活になにも貢献しないくせに、こうやって私が会ってあげて、父親というあの人の持つ要素を成立させてあげるのも無賃労働みたいでとても嫌だ。

 

こういう話はまた後で考えれば良い。1番とりたかった財団の給付型奨学金に受かった。これからお金にとらわれずに欲しい本が買えるなんて、どんなに幸せだろうと思う。映画とか、演劇とか、美術とか音楽とか今まであまり機会に恵まれなかったジャンルに触れられるのも楽しみ。